克難城観光地

克難城本名は南村坡、吉県の北西39キロに位置し、黄河壷口滝から8キロ離れており、抗日戦争時代(1940-1945)の国民党第二戦区長官司令部、山西省政府、太原綏靖公署、民族革命同志会の駐屯地だった。閻錫山は住む前、「難存」という語呂合わせを嫌って「克難」城と改称した。克難城内には洪炉台、実干堂、進歩室、楊経略詞、望河亭などがある。

  • 八大所

    八大処は国民革命第二戦区司令部の機関で、内部に参謀処、機要処、軍需処、軍務処、糧秣処、服装処、副官処、文書監督処、会計処、省銀行、参事室などの機構があり、当時の国民革命第二戦区

     

    司令部の日常事務を処理する首脳機構であった。

  • 進歩室

    閻錫山はこの建物の東西南北の額に、それぞれ「進歩室、全体精神、批判室、検討室」と書いた。全体精神建設委員会、別名「精建会」は国民政府の監察機関であり、批判室、検討室、進歩室は閻錫山の高級幹部に対する政治思想教育、反省の場である。

  • 克難神泉

    克難室の向かい側の崖の下には、水がたっぷり入った泉がある。当時克難城内の2万人以上がこの泉を飲んでいた。克難室の左の崖

    下に小さな石洞があり、洞内の泉は閻錫山専用の泉である。この2

     

    つの泉は克難神泉と呼ばれている。

  • 克難室

    克難室は民族革命同志会の執務場所であり、同志会の最高権力

     

    機関でもある。会長:閻錫山、副会長:趙戴文

  • 万能ホール

    克難城首脳部の大食堂であり、軍政関係者の文芸公演、練兵場である万能洞は、現代の「多目的ホール」に相当する。外見は七穴の窯洞だが、実は三穴窯洞は一新溝から二新溝までの地下通路で、深さは40メートルに達して、穴の中は広くて高くて、互いにつながっている。

  • 望河亭

    望河亭は、東に座って西に向かって、黄河に面している.。その背後には石のアーチ橋が建設されており、望河亭の頂部に登ることができる。閻錫山は常に望河亭の頂に座って黄河を眺め、「高みに登って遠くを眺める」という意味を込めている。「北天一柱」の4文字は、建築職人が閻錫山を贈った扁額だ。

  • 真理室/競争室

    真理室、競争室は閻錫山が提出した「真理弁証法」と「革命競争」を意味して、真理室は閻錫山の理論研究院で、また1つの小さい図書館です。コンペティションルームは十三高干事務室。高級幹部は、首席高級幹部、兼職なし高級幹部(2人)、行政高級幹部、軍政高級幹部、建軍高級幹部、経済高級幹部、兵農高級幹部、組織高級幹部、審議高級幹部、展開高級幹部(3人)の計13人に分けられている。

  • 忠烈祠

     

    忠烈祠は克難城の石造りの中で最も荘厳な建物であり、閻錫山で烈士を記念し、祭事を行う場所である。祠には抗戦烈士の位牌があり、祠の下には9段の階段が建てられている。「九」は「極陽数」

    であるため、閻錫山は9段の階段を修め、烈士を敬う意味である。

     

    祠の前の石柱には2枚の対聯が刻まれており、1組である.上聯は

     

    「千秋の廟容貌の光華麗な兜」、下聯は「九曲の波の音壮国魂」である。もう一つは、上連は「百戦鼓壮士」、下連は「三河ローブ英霊を仰ぐ」である。